6/27 球体千秋楽、完走おめでとうございます。
千秋楽の模様が報道にも出ましたね。
https://entameclip.com/news/118062?amp=1&__twitter_impression=true
球体プロジェクトについては、以下の公式サイトをご覧ください。
http://avex.jp/daichi/live/tour.php?id=1001190
私は、縁あって初日公演を鑑賞しましたので、レポを書いてました。(鑑賞後から、千秋楽まで少しずつ追加したりして)
では、レポいきます!
まず、全曲ぶっ通し、MC無し、「みうらだいちでーす」もなし、終わっても出てこない。
お客さんからの「だいちー」コールも無し。
一つの物語を、3D映画もしくはミュージカルを大知くん一人で演じる。
*この記事に出てくる写真は、私がランニングしながら撮影した写真を加工したものです。
始まる10分前、席に座ると、ザザーって海のような音が聞こえ、舞台には、白い薄いスクリーンがかかってて、波の模様(球体のジャケット)が投影されて、よーく見ると、部屋みたいなセットがスクリーンの後ろにある。ベッドと服をかけるハンガーに白いシャツが3枚ほどかかってる。
始まると、部屋みたいなセットのベッドの上でちんまり体育座りしてる大知くん、台詞のような歌詞を歌い出す。
今回はほぼ、ヘッドマイク(メガネがマイク説濃厚)で、ハンドマイク一回、ピアノ弾きながら一回、スタンドマイク一回。
公開されている曲順に物語が進行。
時々、今回のグッズが登場。
グッズの中で出てきたのは、
ガラス瓶、飛行船ポスターのモチーフ映像、トートバッグ、白いノート
割と重苦しい雰囲気だけど、ナオさんの歌詞とカッコいいトラックがビートを刻んだりして、時々狂ったように踊り出す。
照明は暗めなので、遠い席ならオペラグラス持って行ったら良かったなあ。
衣装は上下白!ダボダボ。
アンロックの振り付けが一瞬見えた。
衣装チェンジしてもダボダボ!
半袖になったけど、球体Tシャツではない。
物語的には過去に君を失ってしまった?青年が飛行船で山や砂漠や街を旅して、最初のセットに戻ってくる。→おかえり。
なぜかメガネ(マイクだから外せない、スポーツタイプでバンドで頭に固定してると思う)をかけていた。カッコいい。
あと、大知くんがセットのベッドを自分で舞台袖に運んだり出してきたりする。
押して出してくる時には、むちむちのお尻と太ももがダボダボでもわかる。(変態ですみません)
秘めてた感情をむき出しに踊るシーンはすごい。
小春ちゃんのソロのパフォーマンスライブを彷彿。
映像ワークもとても良くて、
山や紫陽花が映るシーンが印象的だった。
生命が輪廻している、ということなのかな。
相変わらずの汗だくで、途中激しく踊ってる際には、汗がターンで飛び散るのが見える!
場面の切り替わりが何回かあるので、その際に袖でドリンク飲んでるのかな?
今までの大知くんからは見ることができなかった一面を見ることができた。
しかし、これは、若干、命削って演じてはいないか?と心配になるほど。
これは、たしかに、練習やリハで
「吐きそう」って言っていたのもわかるし、
一日2回公演とか、、、大丈夫??
(インスタグラムでは、ストーリーズ更新されたりしてくれて、公演開催進むにつれ余裕を感じられた)
ライフワークにすると言ってるけど、どんな展開をしていくのか?
Naoさんの美しい楽曲をあんな風に表現できるのは、大知くんならではだし、他には居ないと思う。ので、もちろん、来年もあるなら見たい!
今回、運良く、初日を観劇できたけど、初日と千秋楽では、多少いやだいぶ変わっていそうな気もする。
早くCDも聴いてみたいし、17の物語の詞を見てみたい。
いろいろ考えるうえで
2015/1月のNaoさんのインタビュー記事が参考になった。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1501220025/
これを読んで感じたのは、
Naoさんは、(おそらく大知くんも)球体独演を見て、
「あーあー、なるほどなるほど、これはこーなってこういうこと言いたいんだね?」と
あっさり、我々が納得するような作品を作ってはいないってこと。
そりゃあそうですよね、、、
お二人とも鬼才なアーティスト。
そのお二人が三年かけて構築してきた作品を一回見ただけで、「まるっと」わかられては
商売上がったりですよね?
だから、どんな風に感じてもいいし、
ここは嫌いとか、あそこはすごく良かったとか
いろんな感想が出るのが当たり前。
私みたいに語彙力乏しい人は
「とにかくゴイゴイスー!」
くらいに纏まってしまうんだけど^ ^
きっとそれでもいいんだよね。
そういえば、
こないだ参戦した、フェス(五月の風)とは違って、
翌日の「ロス感」が少ないのが不思議。
大知くんが発してくれた表現が心の中に住んでいるからなのか?
球体は、私の中に宿ったんだね、きっと。
そんな感じの
球体初日でした。